料理のハードルを低くする料理研究家 yukari
~ Cooking Hardle More Lower ~

災害支援。寄り添うことの大切さを知った日。

こんにちは。本日もご訪問頂きありがとうございます。

3.11。またこの日が近づいてきました。

あの頃は長男の中学の卒業式で半休を取り、午後から出社。
揺れは大阪にも達し、11階のオフィスがゆらゆら気持ち悪い揺れを感じました。
子供たちの安否を確認後、東京のおばの家にすぐ電話して繋がり安否を確認。
当時絶縁状態だったこともあり、私からの連絡が嬉しかったと。そのあと電話は繋がりにくい状況に。
旦那が夜勤で不安な中、子供たちとネットを通じて被害の大きさを知り、不安な夜を過ごしました・・・

そして震災から5年。当時小2だった次男がご縁あって宮城の高校にお世話になることに。

高校へのご挨拶の時に初めて見た光景は、仙台空港のある名取の、広い敷地がある光景。


(写真は2016年4月・仙台空港にて撮影。名取地区はまだ今ほど建物はありませんでした。)

このとき復興がまだまだ遠いことを私たちは目の当たりにしました。


(写真は2018年6月撮影。石巻にて。)

それから3年間、月に1回以上は高校野球観戦で訪れた仙台、石巻は今も私たち家族にとって第2の故郷になりました。

ふるさとが遠い息子達をわが子のように大切にしてくださった方々。
私たちが訪問したらいつも歓迎してくれた人達。
大阪で地震があったときは真っ先にLINEで安否を気遣ってくれた方々。
みなさん震災を経験しておられて、つらい想いもされておられるのに、優しい想いが嬉しかった。
いつかまた、と言ってコロナが始まり会えなくなってしまったけれど 心はいつもみなさんと共にあります。
いつか、また笑って一緒に食事したいですね。そんな日が早く来ますように・・・。

3.11を忘れてはいけない。
けれど3.11だけではないことを改めて私は人吉の豪雨災害はこのプロジェクトを通じて
災害支援のネットワークの重要性を改めて感じました。 

今回はじめて災害ボランティアの一助として人吉市内の仮設住宅を本田節さんと一緒に回らせて頂きました。

本来は炊き出しをされているそうですが、
このコロナ禍のため、日用品で必要なものを袋に入れて 仮設に配らせていただくということをお手伝いさせていただきました。

1軒1軒回らせていただき、お話を聴き最近の状態を聴いて。

みなさん、笑顔で話してくださってて、こちらが元気を頂きました。

最後にお会いした女性は旦那様を水害で亡くされた方でした。
大切な家族を守るために命と引き換えに犠牲になられた、と涙ながらに私達にお話してくださいました。
私は、涙が止まりませんでした。
本田節さんは私達にこうおっしゃってくださいました。

「涙を流してこうして聴いてくれる人がいるだけで、それだけで心が少しでも軽くなるのよ。
ここまでくるのに彼女はどんなに苦しかったことか。涙を流して話せるまで相当きつかったと思う。
でもこうして話すことができた。それは聴いてくれる人がいるから。
私達はその気持ちに寄り添うために、このボランティアを続けている。仮設住宅に足を運んでいる。
これが私のライフワークなの。」と。

私はその言葉にまた感動して号泣していました。

復興への道のりはまだまだ東北も熊本も遠いかもしれないけれど、
もし、日本のどこかでフードツーリズムマイスターとして活動をするのであれば、
私は迷わず被災地を選ぼうと思いました。

そこで地元の人に寄り添いたい。話を聴いて自分ができることがあれば行動したい。
災害を風化させてはいけない。

多くのことを今回も人吉の滞在で教えて頂きました。
次回行くことができれば、一緒に炊き出しをお手伝いできればいいなと思います。

 

asumeshilab.com